(案内人)大山正雄 (記録)町田 功
著者:町田 功 ,加筆:大山 正雄

日本水文科学会の皆さん、こんにちは。企画・広報委員長の町田 功です。去る3月8日に、昨年度に立ち上げた学会新企画・水文誌ミニ巡検(第2回)が行われました。第1回(香川平野・案内人は新見先生)のレポートは嶋田会長よりお送りしましたが、第2回は私からお送りしまっす!
 今回の巡検は箱根駅伝や滝廉太郎の歌で有名な「箱根」。案内人は一般社団法人日本温泉協会会長&早稲田大学オープンカレッジ講師の大山正雄先生です。大山先生はかつて神奈川県温泉地学研究所(温地研)に勤務され、文学博士を取得されています。さらに県職員という身でありながらフランス留学を経験されたダンディーな方です。実は私も10年ほど前に2年ほど温地研に勤務しており、その時に先生にはお世話になりました。
 さて、巡検は予定通り9:00に箱根登山観光バスにて小田原駅西口より出発しました。総勢16名です。いきなり大山先生より、小田原の地名の由来、そして酒匂川のそばにある活断層の国府津-松田断層と関東大震災との関係、小田原城と後北条氏の歴史について名調子での解説がありました。関東と関西の関という文字は、箱根の関所を境という説もあるのですって。皆さん、ご存じでしたか?箱根については私も少々うるさいつもりでいましたが、知らないことばかりで驚きました。
 最初の見学ポイントはこれから訪れる箱根カルデラからの早川の水を取水している小田原用水です。玉川上水などよりも45年も早い、日本最初の水道です。小田原城のお堀の水は、この水を引き入れているとのことでした。なお、写真の中で山の上にある鉄塔のある場所が、豊臣秀吉による小田原征伐のときに作られた一夜城の場所です。このあたり、戦国時代好きな私にはたまりません。さて、このあたりまでは、河津桜が咲く中で穏やかな天気を楽しめましたが、ここからが水を専門とする方々が集まっているだけはあり、強い雨が降ってきました。以後、雨が続くことになります。

写真1 小田原用水取水口 
背後右奥の丘の上に鉄塔がありますが、ここに一夜城がありました。

次の見学ポイントは、箱根湯本の老舗旅館・萬翠楼福住(ふくずみ)です。もともとこの地の温泉は自然湧出するものを利用していました。そのような中、かつての福住旅館の主は自然湧泉近隣に雪の積もっていない部分があることに気づき、そこに業者を連れて行って温泉を見つけたという話をしていただきました。下の写真に撮っているのは緻密な安山岩で、箱根火山の基盤をなすとされる須雲川安山岩です。非常に緻密な地層であるのに対し、その上位の箱根火山の溶岩層は割れ目が多く水を通しやすいため、上位から浸透してきた地下水は須雲川安山岩に浸透することができず、基盤上を流れて箱根湯本にて湧出するという説明がありました。源泉となっている横穴内湧泉という所で4、5人一度に懐中電灯を使って入っていきました(特別な許可を得ています)。温泉の熱で中はサウナのようでしたが、残念ながら湿気で写真が撮れませんでした。

写真2 須雲川安山岩類(基盤岩)
写真3 資料を手に説明しているのが大山先生、傘をさしているのが嶋田会長。
二人の後ろに温泉の湧出する基盤岩の洞窟があり、そこから湯気がでています。

湯本を後にし、さらに箱根を登っていきます。ここから傾斜がきつくなっていきます。湯本から宮ノ下は箱根駅伝(第5区)のコースです。テレビでは大学生ランナーがスイスイと走っていきますが、自分でやってみるととても走って登ることができません。10時50分、次の見学地点は底倉の蛇骨湧泉群です。下の写真の緑色に見えるところは”亀張り”といい、自然湧泉源で、温泉の流出を塞いでいるとのことでした。この蛇骨には崖部から湧出する温泉が数多くあります。ちなみに、先ほどの箱根湯本は基盤岩の中からの温泉、蛇骨湧水は基盤岩上の箱根火山中央火口丘の温泉とのことです。お昼近くになって、ますます寒くなってきました。道端には残雪がみられ、雨と霧が視界を覆います。

写真4 亀張り。緑色に見えるところが該当します。
写真5 蛇骨湧水群。この崖の下の川に湧出しています。

次のポイントは中央火口丘最高峰の神山の大涌谷です。火山性蒸気噴気地帯の大涌谷は皆さんも観光で訪れたこともある方もいらっしゃると思います。ここでは大涌谷の降雨イベントと地下水位変動の関係をタンクモデルによって予測した研究成果を紹介していただきました。そして、その応答(流出係数や浸透係数)が1970年代と1990年頃では大きく変わっていること、1990年頃は地表に堰堤などの人工物を造ったために、雨に対して水位応答が小さくなっていることを解説していただきました。堰堤を造ることによって水位応答が小さくなる=地滑りを抑える、ということです。お昼に大涌谷にてご飯を食べましたが、レストランでは暖かいストーブが焚かれていて生き返りました。

写真6 法政大学小寺研の皆さん。大涌谷のレストランで昼食を食べています。

1:00、大涌谷から箱根カルデラ底の仙石原を横断して箱根カルデラ壁(外輪山)の長尾峠に入り、再び箱根カルデラ内の深良用水に向かいます。このあたりから徐々に雨が小降りになり視界が晴れてきました。深良用水採入口で、みんなで記念撮影をしています(写真7)。深良用水は今から400年位前に造られた芦ノ湖と静岡側を結ぶ用水です。その長さが約1300m、そして静岡側、神奈川側両方から箱根外輪山の溶岩の中を手掘りで隧道を掘り始めて、最後に両者が出会ったときの高低差が約1m弱だった、ということに対して非常に感銘を受けました。この深良用水から静岡県に芦ノ湖の水が流れていくわけですが、水利権の関係で神奈川県には1滴もいかないというお話でした。芦ノ湖は神奈川県にあるので、少し神奈川県が可哀そうな気もしましたが、芦ノ湖の下流側の仙石原には芦ノ湖の水が地下水流動しており、早川に流出しているとのことで、少し安心しました。早川の下流にあるのが冒頭に出てきた小田原用水です。

写真7 深良用水取入口にてミニ巡検参加者と共に
写真8 芦ノ湖側の深良用水の取水口です。
写真9 取水口から回れ右をすると、こんな用水がみられます。
このトンネルが深良用水で1.3kmもあります。

 時間は3時10分。箱根の関所を見学し、4時30分に箱根駅伝のゴールに到着です。霧の中の芦ノ湖もなかなか風情があります。夜は懇親会でしたが、用事のある一部の方を除くすべての方が参加され、夜が更けるまで思い思いに水文学や日本水文科学会の将来について語り合いました。

写真10 霧と夕暮れの芦ノ湖 
箱根駅伝のゴールにいます。